久  井  町  の  伝  説
柴栗伝説











 むかしむかし、10と7つのふたりの子供が、宇根山に栗の実をひろいにいきました。
姉は、野ぎくやおみなえし、ききようのさきみだれている細いたんぼの道を、小さい弟の手をひいて歩いていきました。
 紅葉した山の坂道をどんどんいっていると、日ざしはまだ強くて、あせがにじんでくるほどでした。弟がしんどいというので、2ヘんも3べんも途中で休みました。
 やがて栗の林にさしかかりました。たくさんいがが落ちているので、ふたりは喜んでひろうのですが、どれも虫が食っているか、からっぽになっているので、なかなかいい実は見つかりませんでした。栗の大木はたくさんあるのですが、子どもたちにはとてものぼれそうもあリません。栗の実はあちらこちらのこずえにたくさんなっているのですが、3メートルばかリのさおではおとすことはできません。ふたりははがゆくてしかたがありません。もうすこし栗の木がひくければなあと、ため息をつくばかりでした。
 そうしているうちに、日はどんどん西にかたむいていきます。けれども栗の実はさっぱリふえないので、気がだんだんあせってきました。ふたリはあせびっしょリになって、あちこちを走りまわり実をひろいあつめました。それでやっとのこと、かごの底が見えなくなるくらいになりました。でも、これではどうにもならん、なんとかしなければといって、大きな栗の木を「よいしょ、よいしょ、よいしょ、よいしょ。」とふたりでゆさぶるのですが、びくともしません。日がくれかかったので、しかたなく帰ることにしました。色づいたぞうき林をくぐって帰っていると、チチチチ、チチチチ、としじゅうがらがむれをなして、松の小枝をつぎつぎとわたっていきます。木の間から見えるタやけがとてもきれいです。ふたりは林のはずれの小高いところにすわってそれをじっとながめていました。
 すると、どこからともなく、すずのねがきこえてくるのです。
 あたりをみまわしましたが、何も見えません。じっとようすをうかがっていると、下の方からのぼってくる人のけはいが感じられるのです。まもなく、木だちの間に、銀のすずがついたつえをもった白いしょうぞくのおぼうさんがあらわれました。品のある、やさしい顔立ちのおぼうさんは、「何をしに山にきたの。」と、ふたりにたずねました。「栗の実を取りにきたの。」と、姉が答えると「ちょっと見せてごらん。どれくらいとれたの。」と言われて、かごの中をのぞかれました。そして、うまそうだからわたしにふたつ、みっつばかりくれないかな、と言われました。子どもたちは、しばらく顔を見あわせていましたが、弟が、「おぼうさん。きょうはぎょうさんとれんかったんで、ちいとだけど。」と言って、かた手で栗の実をすくってさし出しました。こんなにたくさんもらつてはすまないから半分かえすよ。とおぼうさんは半分くらい返そうとされると「いいんですよ。とっといてください。」と、姉はその手のくりをおぼうさんのふくろの中に入れました。おぼうさんは「ありがとう。ありがとう。」と、ていねいにお礼を言われました。そして、ふたりが帰ろうとすると、おぽうさんは「ちょっと待ってください。」と言って、ことばをつづけました。
「きょう、たくさんくりをもらったお礼に、来年からは小さい栗の木でも実がよくなるようにしてあげよう。」とおっしゃいました。
 おぼうさんは、手をふリながら足早に木立ちの坂道をのぽっていかれました。ふたりはふしぎそうにぼんやり立って、おぽうさんのすがたが見えなくなるまで見送っておりました。
 さて、そのあくる年からは、おぼうさんのいったとおりに、小さい木にも実がいっぱいなったので、子共たちはたいへん喜びました。そうしてさらにおどろいたことは栗の木が何百本もふえていることでした。
こうして、字根山の栗の木は、小さくてもたくさん実がなることで、有名になりました。このおぼうさんは、弘法大師であったと言い伝えられています。